クリフトン・カーフは、アメリカ人でありながら私たち日本人よりも日本人らしく、京都と金沢をこよなく愛し、その町家の風景を色鮮やかに表現した作品を多数手がけた作家です。
版画家としての活動だけではなく墨絵、根付、彫り物、陶磁器の絵付けなど、さまざまな分野でも創作活動を行っていました。
クリフトン・カーフの作品のご売却をしませんか?
いわの美術ではクリフトン・カーフの作品の買取を行っておりますので、ご売却をお考えの
クリフトン・カーフの作品がございましたら、いわの美術までお問合せ下さい。
1927年にアメリカのミネソタ州ダルースで生まれ、家族全員が絵を描く環境で育ったクリフトン・カーフは、自然と筆を手に取るようになり、水彩画を中心に絵に親しんでいきました。
20歳になったクリフトン・カーフは米軍人になり、軍隊付き画家としての任務で日本へ初めて来日します。
来日した際、日本の文化や街並みに魅力を感じたクリフトン・カーフは、軍人を退官しミネアポリス美術学校へ入学、2年間美術への知識を身につけます。
日本へ再来し滋賀県に在住したのち、数年後に岐阜県長良杉乃町へ移住し、日本美術界へ踏み出しました。
34歳の時に初の個展を開催し大成功を収め、その後、国内の主要都市16か所、香港、オーストラリア、ヨーロッパ、アメリカで多数の個展を開催しまし、さらに「カーフ版画」、版画集「京都再見」、「京都発見」等を刊行し、50歳に日本版画協会京都支部長を勤めるなど、勢いのある芸術活動を行いました。
九谷焼の絵付けを依頼され、石川県金沢市を訪れたクリフトン・カーフはこの街に惹かれ、68歳の時に金沢市主計町に移住しました。
特に2階の窓から浅野川の景色を眺めるのが好きで、石川県の海の幸、山の幸、変わりやすい天候までもお気に入りだったようです。
また、和服姿で街を歩くクリフトン・カーフを、地元住民の方々は親しみを持っていたそうです。
クリフトン・カーフの没後、自宅兼アトリエであった茶屋を改装し展示販売が行われています。
建物入口の戸にはうさぎの模様が入った可愛らしいデザインになっており、店内のあらゆる場所にもうさぎのデザインが施されています。
500点程の遺作が保管されており、実際に使用された画材や筆、版木も展示されています。
クリフトン・カーフといえば町家の風景が描かれた木版画が有名ですが、さまざまな作品の中には、右の絵のように自身をモデルにした自画像があります。
歌舞伎役者のような顔立ちの、ユーモラスな雰囲気が特徴的で、このような作品が年代、年齢毎に何点かあります。
クリフトン・カーフの木版画、墨絵、根付、彫り物、陶磁器の絵付け等、作品の買取を行っています。
印刷されたものについてはお値段を付ける事が難しいため、買取をお断りしております。
木版画と見分けるためには、作品の裏を見て頂き、インクの滲みがあれば木版画となります。問合せの際は、作品のタイトル名、大きさ、額などの付属品の有無、入手経路などをお伝え頂くと査定がスムーズに進みます。
また、一度に大量のコレクション売却のご相談でも、出張買取でご自宅までお伺いし、その場で現金買取を行っておりますので、安心したお取引をご希望でしたら、年間に多くの美術品の買取を行っているいわの美術にお任せ下さい。
いわの美術では買取に関する手数料などは一切発生しませんので、お気軽にご相談下さい。