苗代川焼を買取ります
苗代川焼は薩摩焼の一種で日置市の旧東市来町の美山にある苗代川窯で焼かれていた陶器の事をいいます。
現在でも苗代川焼の窯元は15~16軒残るのみですが、沈壽官窯、荒木陶窯、鮫島佐太郎窯は苗代川焼の主要な窯元も存在しています。
薩摩焼には藩主向けの御用窯で、金、赤、緑、紫、黄など華美な絵付を行った豪華絢爛な色絵錦手が主の白薩摩(通称・白もん)と日用雑器の黒薩摩(通称・黒もん)があり、苗代川焼の窯元は白薩摩、黒薩摩どちらも作られている事で知られています。
2002年に経済産業大臣指定の伝統工芸品に指定された際に苗代川焼を含め、龍門司焼、長太郎焼はすべて薩摩焼に呼び方が統一され、現在の形となりました。
苗代川焼は1599年、陶工・朴平意が串木野窯を開き、その後、苗代川に移住し、黒薩摩や朝鮮から持ってきた白土を使って制作を行っていた事からその歴史が始まりました。
この地で白陶土が発見され、白薩摩が制作されるようになると捻物細工が生まれ、錦手、金襴手という白薩摩の原型が生まれました。
ちなみに苗代川焼を制作していた陶工たちは朝鮮から連れて来られた者が多く、その者たちは故郷を忘れる事なく言葉も服装も朝鮮である事を貫き続けたと記録に残されています。
また、苗代川焼の始祖である朴平意の末裔にあたる荒木陶窯では現在でも、朝鮮ゆずりの左まわしロクロにこだわり、独自の天然釉薬を使い、祖先の心を大切に守りながら苗代川焼の保存継承に尽力しています。
そして、苗代川焼窯を名乗るためには文禄慶長の頃渡来した、21姓70人余人の陶工の血筋をどこかで引いていないと名乗れないそうです。