1631年に日向国(宮崎県)で生まれ、江戸時代に活躍した刀工です。
同銘を切る、父の刀と区別するために
「真改国貞」とも呼ばれています。
幼少時代から父から作刀技術を学び、
父と共に摂津国(大阪府・兵庫県)へ移り住みました。
10代後半には一人前の刀工としての力量を発揮し、
20歳の時に父の代作を盛んに行いました。
1652年に技術を認められ、父と同じく和泉守を受領し
二年後に父の死去により24歳で「和泉守国貞」を襲名しました。
その後、朝廷に自身の作刀を献上すると賞賛され
「十六菊紋」を刀に入れることを許可されました。
そして1672年に名を「井上真改」に改めています。
津田越前守助広とともに「大坂新刀の双璧」と称され
重要文化財に指定されている太刀も現存しています。
また、作刀以外の美術や工芸にも優れていたとされ、
中でも書画は現在でも高い評価を受けています。