明治時代の日本の彫金家です。
茨城郡水戸下師肴町に生まれました。
通称は竹次郎、弥五郎といい、別号に芳洲、東華斎などがあります。
叔父である初代・海野美盛(よしもり)、萩谷勝平に師事し、絵画、歴史、文学、書など水戸の伝統的な美意識と学問を学びます。
その後、江戸へ移るが廃刀令により、刀装具から装飾具などの彫金を行うようになり、第1回内国勧業博覧会に出品した作品が受賞し、数々の出品、受賞を経て帝室技芸員となり、念願であった加納夏雄への入門が許され、加納の作品の下地制作を手掛けるとともにその作風を祥悦した立体表現へと独創を高めていきました。