日本刀の中でも特に名刀と称された「天下五剣」のひとつで、
現在、継承されている前田家では大伝太と伝えられています。
平安時代に活躍した典太光世が制作した刀で
1957年に日本の国宝に指定されています。
元は足利家の家宝とされてた大典太は、
豊臣秀吉らが継承した後、現在は前田育徳会が所蔵しています。
足利家から前田育徳会までの経緯には
他の刀と同じように数多くの伝承や伝説が残されていますが
そのうちのいくつかをご紹介します。
その1
当時、伏見の千畳敷を歩いていると背後から刀の鞘を掴まれ
身動きできなくなってしまうという噂が広まっていました。
これを前田利家が確認する時に魔除けとして大典太を持たせました。
利家が何事もなく帰ってくると噂は自然消滅し
褒美として大典太をそのまま譲られたという伝説。
その2
大典太は病を治療する能力があると伝えられていました。
前田家の豪姫が原因不明の病で倒れた時に、
豊臣秀吉から大典太を借り、枕元に置くと見事に病から回復しました。
しかし、返却すると再発してしまい、貸し借りが何度も続きました。
とうとう秀吉は大典太を前田家に譲り豪姫の病も完治したという伝承。
その3
豊臣秀吉が徳川家康に大典太を贈呈しました。
そして前田利常の長女・鶴亀の病を治療するために
大典太の貸し借りを重ね、前田家へ譲り鶴亀の病が完治したという伝承。
(贈呈以降は、その2と全く同じ経緯)
1~3の全てに共通している事は前田家へ継承された事と
「守り刀」としての使用されていたことです。
前田家へ継承された後は、当主のみが大典太を見る事を許され、
年に一度、当主が手入れを行っていたといわれています。
また、前田家に渡ってからも逸話が残されており、
大典太が保管されている倉庫の屋根には刀の霊力で
鳥がとまることが出来なかったといいます。