「源満仲」が源氏の発展を願い髭切と共に打った刀です。
別名「蜘蛛切丸」「吠丸」「薄緑」ともいいます。
「膝丸」にも他の刀と同じように逸話や伝説が残されています。
その1
「源頼光」が病に倒れ、毎夜妖怪の悪夢にうなされていました。
四天王が泊まり込みで看病と護衛を行っていまいたが
身長が約2.1メートルもある怪僧が忍び込み、
源頼光に縄をかけて捕えようとしました。
とっさに枕元にあった「膝丸」で斬りつけると
怪僧は血を滴らせながら逃げていきました。
源頼光は四天王に膝丸を託し、怪僧の後を追わせました。
すると葛城山の山中に大きな塚を発見し掘り崩してみると
約1.2メートルの大蜘蛛が現れました。
決死の戦闘の後、見事にその大蜘蛛を成敗したことから
膝丸を「蜘蛛切丸」と呼ぶようになりました。
その2
「源為義」の時代に、蜘蛛切丸(膝丸)が
まるで蛇が鳴くような声で吠えた事から
蜘蛛切丸を「吠丸」と呼ぶようになりました。
その3
「源為義」が嫁婿となった熊野別当教真に吠丸(膝切)を譲りました。
しかし、「源氏重代の刀を自分が持つべきではない」と考え、
源氏の母を持つ「権現」という人物に吠丸を譲りました。
権現は源義経に譲り、源義経は愛刀とし「薄緑」と名を改めました。
その後、源義経が討たれると源頼朝が所蔵することとなり
かつての兄弟刀がひとつの場所に戻りました。
現在は重要文化財に指定され、大覚寺に所蔵されています。