南北朝時代に活躍した刀工である「来国俊」が打った刀です。
同時期に活躍していた武将である
阿蘇惟澄の愛刀としても知られています。
「蛍丸」にも他の刀と同じく伝承や伝説が残されています。
その1
阿蘇惟澄がこの刀を実戦で使用した際に
刃こぼれを起こしてしまいました。
その日の夢に刀に群がる蛍が出てきました。
翌朝、目を覚ました阿蘇惟澄が刀を鞘から抜くと
刃こぼれが完全に修復されていました。
この出来事から「蛍丸」と名付けられました。
その2
刀が「三田井家」に所蔵されていた時の話です。
豊臣秀吉の家臣である高橋元種が三田井家を滅ぼした際、
生き残った武将の一人が、幼い姫と蛍丸を抱えて逃走しました。
茂みに隠れて追っ手をやり過ごそうとしていましたが
蛍丸が突如光だし、追っ手に見つかってしまいました。
武士はその場で幼い姫と共に自害したそうです。
この武士と幼い姫を憐れんだ周辺住民は祠を作りました。
この祠は「恵良八幡神社」として現在も残っています。
1931年に国宝の指定を受けましたが
戦後の混乱で行方不明になってしまい、現在に至ります。