南北朝時代に活躍した刀工です。
越中国新川郡松倉郷(富山県魚津市)に住んだ事から
「郷(後世では、江)」と称していました。
21歳の時に後醍醐天皇のお守り刀として献上された
岡崎五郎正宗の作刀を見ると技術の高さに感動し、
名工「正宗」の弟子となりました。
その後も技術を高め続け、正宗の高弟と言われている
10人の名工の総称「正宗十哲」のひとりとなり、
豊臣秀吉から「相州の正宗」「山城の粟田口吉光」と共に
「日本三作」と賞賛されました。
後世では、井上真改や南紀重国など
一流の刀工たちも「郷義弘」の作刀を写しています。
在銘の作刀が一振りも存在していない事と
36歳という若さで死去してしまった事から、
「郷と幽霊は見たことが無い」と言われるほど希少価値が高く
日本で最も入手困難な刀だと言われています。