一刀流の開祖として知られる「伊東一刀斎」や
戦国武将の小笠原長時の愛刀として知られています。
「瓶割」という名の由来には逸話が残されています。
その1
伊東一刀斎は鬼夜叉と呼ばれていた14歳の時に、
武術に優れた技術を持つ、冨田一放と戦いました。
その時に立会人であった三島神社の神宮である矢田織部は
伊東一刀斎の見事な勝利に関心し、
三島神社に奉納されていた刀を与えました。
その後、矢田織部と共に暮らしていた伊東一刀斎の元に
戦いに負けた冨田一放は7人の刺客を送りこみました。
伊東一刀斎は次々に刺客を倒していくなかで
瓶の裏に隠れた刺客を瓶ごと斬りつけました。
そして、敵を討ち取ったこの刀を「瓶割」と名付けたという説。
その2
奉納されてから数年間、神前に吊るされていた刀が
あるとき落下し、酒瓶を真っ二つにしたことから
「瓶割」と名付けたという説。
このような名前の由来以外にも数多く伝説が存在しています。
その後、瓶割は日光東照宮に奉納されたといわれていますが
現在は行方不明になっています。