「希首座」という名の由来には数々の伝説が存在しています。
その1
戦国武将の細川忠興が大徳寺を訪れた際に
出迎えた僧「希首座」にいきなり斬りかかりました。
騒然とする周囲をよそに、細川中興は屋敷へ帰ってしまいました。
その後の調査によると「希首座」は
細川中興、細川藤孝によって滅ぼされた一色家の人間で、
滅亡時に幼児であった希首座は見逃され、生き延びていました。
しかし細川中興は生き残りが居た事すら知らなかったため
何かを感じ取り斬りかかったといわれています。
その2
一族を滅ぼされた恨みを持つ希首座は、
仇を討つべく細川中興がよく出入りする大徳寺の僧となりました。
しかし、その話が事前に細川中興の耳に入ってしまい
斬り殺されてしまったといわれています。
また、希首座の弟である「速水又兵衛」も斬り殺されたそうです。
これらの由来から「希首座」と名付けられ
細川中興の愛刀とされてきました。
現在は希首座の祠に祭られているといいます。