南北朝時代から戦国時代に活躍した刀工一派で
祖は「金重」とし、美濃国(岐阜県)の関を拠点に活動しました。
金重は越前国(福井県)の生まれで清泉寺の僧であったとされ、
61歳という高齢で「正宗」の門下となりました。
そして「正宗十哲」という正宗の高弟と賞賛されている
十名の名工のひとりとなる程の技量を身に付け、
同じく正宗十哲の志津三郎兼氏と共に美濃国へ戻りました。
金重は「関」へ、志津三郎兼氏は「志津」へ戻ると
それぞれ相州伝をもたらし、元々大和伝が主流であった
美濃国で大和伝と相州伝を加味させた新たな作風が誕生させ
「関鍛冶」の基礎を見事に作り上げました。
現存する作刀で在銘のものは極めて少ないと言われています。