江戸出身の江戸時代後期に活躍した装剣金工です。
後藤四郎兵衛家(後藤本家)15代目を襲名しており、平凡ながらも優れた作品を数多く残していますが、ほとんどが代銘、もしくは代作だと言われています。
後藤本家は室町幕府第8代将軍・足利義政に仕えた後藤祐乗を祖とし、5代・徳乗のとき四郎兵衛(しろべえ)と称して以来、当主は通称として四郎兵衛を名乗るようになります。
そのため、後藤真乗も15代目を襲名した際は、四郎兵衛を名乗っていました。
そんな後藤家は刀装具小道具のもっとも有名で権威ある家柄として知られ、これまでに足利、織田、豊臣、徳川の各将軍家の御用をつとめ、刀装具などの彫金作品を制作してきました。
また、江戸時代に入ってからは大判座、分銅座を主宰して特権的職人の地位を占める存在であった事から、後藤真乗も「享保大判金」の墨書きを行っています。
後藤真乗は、14代・後藤桂乗の嫡男として生まれ、幼名は「亀市」で、名は「光美」と称していました。
後に家督を継ぎ、16代目として活躍する後藤方乗は、後藤真乗の三男で、後藤家最後の良工と呼ばれるほどの腕前を持っている事で知られています。
そんな後藤家は小柄、笄、目貫の3種が同一作者、同一意匠である三所物(みところもの)を中心に制作を行っており、地金は赤銅を使い、まれに四分一(銀と銅の合金)が使われています。
後藤真乗も作品数は少ないですが、後藤家の伝統を守った作品を残しています。