江戸出身の江戸時代後期に活躍した日本の装剣金工です。
後藤四郎兵衛家(後藤本家)16代目を19歳という若さで襲名しており、器用で緻密な作品を多く残しています。
後藤方乗が生まれた後藤本家は室町時代~江戸時代にかけて御用達の彫金を家職としてきた一門で、足利、織田、豊臣、徳川の各将軍家の御用をつとめ、刀装具などの彫金作品を制作してきた家系です。
室町幕府第8代将軍・足利義政に仕えた後藤祐乗を祖とし、5代・徳乗のとき四郎兵衛(しろべえ)と称して以来、当主は通称として四郎兵衛を名乗ります。
豊臣秀吉の時代では家業の刀装具の制作の他にも天正大判や千枚分銅の製造を行っており、江戸時代に入ると大判座、分銅座を主宰して特権的職人の地位を占める存在として繁栄してきました。
そのため、後藤方乗は「享保大判」、吹き増し大判である「天保大判」の墨書きを行っています。
また、後藤本家の最後の良工と評されており、短命であったため、残された作品の数は少ないとされています。
また、「方乗」の名はこの世を去ってから贈られたものです。