江戸時代中期に薩摩国(鹿児島県)で活躍した刀工です。
伊豆守正房の門人で、相州伝や美濃伝を得意とし、
「正清派」を生み出しました。
江戸時代中期は大きな戦争が無い平和な時代で
刀の需要が少なく、刀工不遇の時代と言われていました。
これを憂いた八代将軍「徳川吉宗」は
武芸奨励策として全国の優秀な刀工の名簿を制作し
中でも優れた技術を持つ刀工を江戸へ招きました。
薩摩国からは一平安代と主水正正清だけが選ばれ、
浜御殿で開催された作刀競技に参加しました。
そして一平安代、南紀重国、信国重包らと共に名人に選ばれ
「葵一葉」を茎に刻むことを許されました。
その後、薩摩国に帰国すると「主水正」を受領しました。
正清派の門人には「正近」「正盛」がおり、
正清の代銘を切っていた時期があったと言われています。