歴史上、最も素晴らしい名工といわれている
「五郎入道正宗」が打った刀の総称です。
芸術性の高い作刀は、後世の刀工に大きな影響を与えました。
当時、貴人に刀を献上する際に銘を入れない事が礼儀とされていた事と
刀が傷ついてしまった時に太刀の刀身を短く刷り上げるため、
銘が入れられていたものでも消えてしまいました。
その為、正宗作と鑑定された刀は非常に稀で、
現存する刀のほとんどが国宝や重要文化財に指定されています。
「豊臣秀吉が愛した刀」というだけあって
当時の町中でも正宗を知らない人がいないほど、人気を博しました。
しかし人気が高まると同時に、銘が無い正宗の刀は
巧妙なものから素人だましのものまで、贋作が大量に出回りました。
皇室で大量の偽物を処分するなどの対処を積極的に行っていますが、
残念ながら現在でも贋作が数多く存在しています。
そういった悲しい現実から「幻の刀」とも呼ばれています。
正宗にも他の刀と同じように、
逸話・伝承・迷信などが数多く残されています。
そのうちのひとつに、刀工「村正」との話があります。
村正は正宗の弟子の1人とされ、鍛錬技術は高かったものの
見た目だけでもよく切れる印象を与えるほど、
切れ味のみを追求する村正を正宗は小川に連れて行き
両者が鍛えた刀を川の上流に刃を向けて突き刺しました。
木の葉が流れてきても正宗の刀は避けましたが、
村正の刀には吸い寄せられるように木の葉が流れてゆき
せせらぎの流れで触れただけで葉を斬り裂いてしまいました。
切れ味を追い求めるだけでは名刀とは呼べない村正の刀を
「刀を鍛える事は魂を吹き込む事であり、
斬れ味のみにこだわるとそれは邪気となって刀に宿り、
刀は斬らなくてもいいものまで斬り裂いて血を求める事になる。」
と正宗が諭しましたが、村正は聞く耳を持たず、
ついに正宗は村正を勘当したそうです。
これ以外にも村正との話は数多く存在しますが
「両者が生きていた年代が違う」という説から、
そもそも師弟関係がなかったのでは、とも言われています。
東京国立博物館には豊臣秀吉が石田三成に授けたといわれる
「正宗」が重要文化財として所蔵されています。