南北朝時代中期から明治時代初期に活躍した刀工一派です。
祖である「信国」は、来派の刀工である「了戒」の門人で
南北朝時代に山城国(京都府)で相州伝を広めました。
「三代目信国」の代には、豊前国(大分県)宇佐郡の
「安心院吉門」のお抱え鍛冶となり、
以後、十一代目まで安心院吉門の鍛冶として活動しました。
山城国から豊前国に移住したことから、
以後の信国派は「豊前信国派」と呼ばれるようになりました。
その後、安心院吉門が滅ぼされると、筑前国(福岡県)へ移住し
当時の藩主であった「黒田長政」のお抱え鍛冶となり、
信国派十二代目「吉貞」が袋槍を発明しました。
そして、豊前国から筑前国に移住したことから、
以後の豊前信国派は「筑前信国派」と呼ばれるようになりました。
吉貞は「吉政」「吉次」「吉助」という三人の息子を得ましたが、
長男である吉政は備前伝を中心とした別家「筑前信国吉政系」となり、
二男の吉次が筑前信国派を継承しました。
しかし「筑前信国派」と「筑前信国吉政系」は別家という形ですが
黒田氏への忠実心は変わらず、共にお抱え鍛冶として活躍しました。