江戸時代初期に薩摩国(鹿児島県)活躍した刀工です。
波平派は大和国(奈良県)から薩摩国(鹿児島県)谷山郡に移住した
「正国」を祖としていますが、現存する作刀が確認されていない為、
正国の子と伝えられる「行安」が事実上の祖と言われています。
相州伝を学び「大和守」を受領した「波平安行」の二男で
波平派を分家して谷山郡の堀に移住し「堀の波平」の初代となりました。
1721年に徳川吉宗の命により浜御殿で作刀競技か開催されましたが、
その下調べである「諸国鍛冶調べ」では、
薩摩藩から「波平派」として安国と並び挙げられています。
子は「安元」「安広」で、堀の波平の二代目は安元が務めました。