鎌倉時代に活躍した刀工である「青江貞次」が打った刀です。
この刀には「妖怪」が関連した逸話が残されています。
その1
ある夜、旅を急ぐ男が夜道で女と出会いました。
なぜこんな時間に?と不審に思っていると
その女が振り向き、ニッカリと笑いました。
不気味な雰囲気を感じ取った男は女の首を刎ねました。
翌日、旅の帰り道でその場所を見てみると
首の無い地蔵がありました。
この女の「ニッカリ」とした笑い顔から
「ニッカリ青江」と名付けられました。
その2
当時、蒲生郡付近の領主であった中島修理大夫は
どこからともなく領内に妖怪が出るという噂を聞き、
妖怪退治に出掛けました。
歩いていると子供を抱いた女と夜道で出会いました。
女は子供を下ろし、「殿様に抱いてもらえ」とニッカリ笑いました。
子供が中島修理大夫の元へ向かってきましたが
ただならぬ雰囲気を感じ取り、子供の首を刎ねました。
すると、「次は私も抱いてくれ」と女が向かってきましたが
子供と同様に首を刎ねました。
翌朝、確認するために同じ場所へ行ってみると
苔むした石塔が二基、斬られて転がっていました。
この女の「ニッカリ」とした笑い顔から
「ニッカリ青江」と名付けられました。
その3
讃岐国にある丸亀城の美しい石垣を築いた大工「羽板重三郎」は
石垣の隙間に鉄棒を差し込み、簡単に石垣を登っていました。
たまたま巡視にきていた武将「生駒親正」がこれを見ると
真似る者が出てしまったら大変だという些細な理由から
工事が終わると同時に羽板重三郎を死罪にしました。
その後、羽板重三郎の祟りで生駒家は減封の上僻地に飛ばされ、
生駒家の代わりに入ってきた山崎家は根絶やしになってしまいました。
しかし、次の領主として入ってきた京極家は「ニッカリ青江」を
所蔵しており、明治維新まで大名として存続しました。
内容はそれぞれによって違いはありますが
これら以外にも数々の逸話や伝説が存在しています。
現在は重要美術品に指定され、丸亀市が所蔵しています。