平安時代から明治時代初期に活躍した刀工一派です。
波平派は大和国(奈良県)から薩摩国(鹿児島県)谷山郡に移住した
「正国」を祖としていますが、現存する作刀が確認されていない為、
正国の子と伝えられる「行安」が事実上の祖と言われています。
歴代の波平派は「大和伝」の作風でしたが、
五十六代「大和守安行」は薩摩藩主「島津家久」の命により
伊豆守正房の門下となり「相州伝」も学んでいます。
また、大和守安行には子が四人いますが
長男「安休」は祖父の安国を継承し「坂ノ上波平系」となり、
二男「安正」は谷山郡の堀に移住し「堀の波平系」となりました。
明治時代初期までに六十四代も続いた波平派は
独自の工夫と技術により、刀工流派の中で最も長くいた流派で
作品や遺跡などが比較的に多く残されています。