江戸時代初期に活躍した肥後派の装剣金工です。
肥後派は肥後細川家の庇護のもとに栄えた装剣金工の流派で、その肥後派を代表するのが、林又七、平田彦三、西垣勘四郎、志水仁兵衛をそれぞれの初代とする4つの流派となっており、志水甚五郎は志水家の2代として活躍を見せました。
肥後金工は鐔、縁頭(ふちがしら)、目貫など刀装具の金工品の全てを手掛けており、2代・志水甚五は91歳でこの世を去っている事から、長きにわたり作品を残した優工とされています。
初代・志水甚五の息子として生まれた2代・志水甚五は、名を永次といい、通称を甚五郎といいます。
父と同様に細川家のお抱え金工として、豪壮で野趣に富んだ装剣金具の制作を行っておりますが、その作品は「甚五」「永次」の銘をきっているものがわずかに存在します。
志水家は8代まで続いていますが、初代・仁兵衛、2代・甚五郎、3代・五永次までが優れた作品を残していると高く評価されています。