安土桃山時代から江戸時代に活躍した刀工一派です。
祖である「肥前忠吉」は武家の生まれでしたが
家督を継承した際にまだ幼かった為に軍役叶わず
刀工として転身しました。
肥後国(熊本県)の「田貫善兵衛」の門人となり
作刀技術の基礎を学んだ後、
山城国(京都府)の「埋忠明寿」の門人となりました。
わずか三年で埋忠明寿から秘伝を伝授されるほど
類まれな才能の持ち主でした。
その後、肥前国(佐賀県)へ戻ると佐賀城下に居住し
藩主庇護の下、100人を超える刀工を輩出する流派となりました。
「懐宝剣尺」という切れ味を番付したものの
最大業物12名の中に肥前刀工が三名も選ばれています。