江戸時代に活躍した刀工です。
1554年に近江国坂田郡下坂(滋賀県長浜市)に生まれ、
越前国(佐賀県)に移住すると徳川家康の二男である
「結城秀康」のお抱え鍛冶として活躍しました。
その後、結城秀康の推挙により江戸へ召され
「徳川家康」「徳川秀忠」両将軍の前で作刀を行いました。
高い技術を認められ「葵紋」を茎に切る事と、
徳川家康から「康」の一字を賜り、「康継」と名を改めました。
この事から「御紋康継」や「葵下坂」と称されています。
以後は江戸幕府のお抱え鍛冶として
相州伝を主に山城伝や美濃伝の刀や短刀を作刀しながら、
大坂夏の陣や本能寺の変で焼失した名刀の再生に努めました。
同銘が江戸時代末期まで続きましたが、
三代目からは「江戸」と「越前」に分派しています。