横谷派を買取ります
横谷派は江戸時代に活躍した装剣金工一派で、刀装具の彫金の世界において、極めて重要な位置を占めている事で知られています。
横谷宗輿(そうよ)を祖としており、横谷宗輿は金工の名家・後藤家から分家した七郎右衛門家を創始した後藤殷乗から技術を学んでおり、後藤即乗が幕府の命で江戸に出るときに、その後見役として共に出府し、幕府御彫役にも名を連ねた人物でした。
そんな横谷派の名を世に広めたのは横谷宗輿の子である横谷宗珉です。
横谷宗珉は後藤家で家彫を学び、21歳の時に父・横谷宗輿がこの世を去った事で家督を継ぎました。
父・横谷宗輿と同じように幕府に仕えていましたが、官職に嫌気がさし、官職を辞めます。
この時、横谷宗珉は「宗知」と名乗っていましたが、江戸神田で創業すると「宗珉」と名乗るようになります。
そして後藤家の作域を脱して、英一蝶 (はなぶさいっちょう) との交流で学んだ日本画の画法や片切彫りといった工法を取り入れ、写実性に富んだ作品を生み出していきました。
ちょうどこの頃、時代は、元禄文化という町人勢力の勃興期であったため、たくさんの賞賛を受け、これが後に町彫りと呼ばれるものとなり、柳川派・大森派・石黒派など後の町彫金工の興隆に大きく関係しました。
そんな横谷宗珉の作品は目貫、小柄、縁頭、笄が多く鐔の作品は少ないとされています。