勅使河原蒼風の作品を買取ります
勅使河原蒼風は大阪府出身の昭和時代に活躍した日本の華道家です。
いけばな草月流の創始者で、「草月」とは勅使河原家の家紋「根笹に三日月」に由来しています。
華道において斬新な手法を多く用いた事から「花のピカソ」と呼ばれており、フランス・パリの個展やアメリカのタイム誌で賞賛を受けています。
一部の評論家からは華道家ではなく、総合芸術家だと言われ、華道界からは異端児扱いされている事もありますが、自由ないけばなを提唱した実績は、現在の華道界においても大きな功績となっています。
そんな勅使河原蒼風は「いけばなは着ている彫刻である」と公言しており、日本のいけばなを世界へ発信した第一人者として高く評価されています。
華道家の父勅使河原和風久次に幼い頃から華道を学び、父の代わりに稽古をつけ「小先生」などと呼ばれ、若くして卓越した才能を発揮していましたが、型にはまったいけばなに疑問を持っていました。
その後、父親から独立すると草月流を創始し、美術界に興ったアバンギャルド運動の影響を受け、重森三玲、中山文甫たちといけばなの自由化を目指して「新興いけばな宣言」を起こします。
しかし、戦争が起こったためこの運動も挫折に終わってしまいましたが戦後にチャンスが訪れ、使用する素材の領域を拡大して鉄や石、鳥の羽、貝など無機物までを含めたいけばなの造形活動を始めます。
こうして草月流の名は急激に広まり、フランスから来日した前衛芸術の評論家ミシェル・タピエが勅使河原蒼風の作品を絶賛し、世界に紹介したことにより国際的な評価が高まり、日本でも勅使河原蒼風の認知度が上がっています。
更にバルセロナの個展を見たサルバドール・ダリは感激し、勅使河原蒼風を自宅に招いており、ジョアン・ミロが来日した際は夫婦揃って勅使河原蒼風の草月会館に訪問しています。
更にマッカーサー元帥夫人をはじめ米軍将校夫人にいけばなを指導し、世界各国で展覧会やデモンストレーションを積極的に行い、フランスの芸術文化勲章、レジオンドヌール勲章を受けるなど世界的に評価を受けました。
勅使河原蒼風の創作活動はいけばなだけにとどまらず、彫刻、絵画、書なども手掛けており、映画「切腹」「怪談」では題字を手掛けています。
また、書には文字のメッセージ性を重視するというこだわりを持っていた勅使河原蒼風ですが、フランスの作家アンドレ・マルロオが選定し、開催した日本美術展で選ばれた書画が、上下逆の向きで展示されてしまいます。
書の文字のメッセージ性を重視している勅使河原蒼風は気分を害するかと思いきや、「読めないフランス人に逆の方がよく見えるのならそのままでもよい」と言い、型にあてはまる事のない柔軟な姿勢は勅使河原蒼風らしい対応だったそうです。