京都出身の昭和時代後期に活躍した日本画家です。
父・麻田辮自は帝展、日展で活躍した日本画家であり、母・鶴も上村松園に日本画を学んでいたという経歴を持つ芸術一家に生まれました。
幼い頃から画に触れ合う機会が多く、ごく自然に画家の道を歩み始め、京都市立美術専門学校へ通うと写生を中心に熱心に学んでいました。
在学中に第1回創造美術展に初入選を果たすと第2回、第3回と連続で入選し、早くも新制作協会会員となるなど若くから画家としての頭角を現しました。
確かな構成力と深みのある色彩や新しい感覚を持って一貫して風景を描き続け、渓谷や雪原、荒天の海など日本の風景をモチーフに造形性を追求した作品を発表しています。
東京に移り住んでからは生誕の地である京都を主題とした個展を開催し、本格的に京都の風景に取り組むようになりました。
最終的には京都を5つの地域に分けて、10年で50点の洛中洛外の連作の完成を目指しましたが、病のため、その作品は完成しませんでした。
麻田鷹司は生前、「私が死んだら、御車返の屏風(自分の作品)を枕元に置いてほしい」と言っていたそうで、亡くなった後は『御車返の屏風』が枕頭に置かれていたそうです。