富山県出身の大正時代から昭和時代前期に活躍した日本画家です。
本名は猪四一(ししいち)といいます。
京都市立美術学校、京都市立絵画専門学校の教授や私塾「石崎塾」を開校し、後進の指導にも尽力していた事で知られています。
画家を志し、はじめは琳派の日本画家・山本光一に琳派を学び、京都で竹内栖鳳に師事し、画技を磨いていきます。
その後、文展・帝展・新文展に数多くの作品を出品するようになり、帝展審査員をつとめるまでになります。
インド・ヒマラヤを旅行し、古代美術や自然風物に感銘を受け、伝統的な琳派の技法と海外の技法を交えた近代日本画を構築し、帰国後に発表した「熱国妍春」「燦雨」が展覧会で特選となり、一躍有名になります。
写実に基づく明るい色彩の華麗な装飾絵画を得意とし、500点以上の写生画を残しており、遺族から寄贈の申し出があった事から福光美術館が誕生し、今も石崎光瑶の文展や帝展で特選を重ねた代表作品を見る事ができます。
また、80年以上にわたって花鳥画の世界を描いてきた上村松篁の憧れの存在としてその名が挙げられており、上村松篁がインドや東南アジアへ旅して回り、精力的に熱帯の花や鳥を写生するきっかけを与えました。