大谷光尊は幕末から明治時代に活動していた浄土真宗の僧侶で、西本願寺21世法主でもあります。
また大谷光尊は書家でもあったようで掛軸などの作品も残っています。
大谷光尊は西本願寺20世の広如の第5子として生まれており、22歳の頃に父が没した後に21世法主となっています。
この頃は明治維新の大きな変革の時代で、明治新政府は王政復古による祭政一致の立場から神仏混交を禁じ、神道を国教とする神仏分離令を発令し、日本中で廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐となりました。
廃仏毀釈とは仏教寺院、仏像などを破壊し出家者や寺院の特権を廃する運動のようなものです。
しかしこの運動は逆に仏教界の覚醒運動を活発化させたといわれています。
大谷光尊は活動が出来なくなった仏教界の先頭に立ち、教団復活を目指し尽力しています。
また、浄土真宗本願寺派僧侶の3人が大谷光尊をサポートしており、彼らの取り組みは政府に対して信教の自由を提唱し、新政府の神道国教化政策を批判する事に成功し、崩壊に導いています。
その後、神道に従属させられていた仏教は復活していきました。
それからの大谷光尊は西洋文明に対抗できるように有望な若手や側近などを海外留学させ、新しい教団のあり方を築いていき、後の22世法主となる大谷光瑞に引き継いでいます。