大阪出身の日本画家です。
本名は粛といい通称は宇左衛門、卯左衛門、彦兵衛といいます。
父親は大阪を代表する文人画家・岡田米山人で、中年期に恵まれた子供だったのでかなり溺愛されていたそうです。
幼い頃から父に習って作画を続け、居宅に出入りする多くの文人墨客に感化され、自然と書画に興味を持ち、独学で南宋画を学びました。
両親が相次いで亡くなり、家業の米屋を継いで米屋彦兵衛を襲名し、父と同じく藤堂藩下役として仕え続け文人画家としても活動し、隠居後は淀川畔に別宅を買い求め詩書画三昧の暮らしを送り、頼山陽をはじめ多くの文人・学者らと交遊しています。
また、蘭医の小石元瑞や儒学者の篠崎小竹とは竹馬の友であり、また大塩平八郎とも長年親交していました。
その後、大塩平八郎の乱で大坂は焼土と化し、別宅が焼失してしまい、そこに保管してあった父米山人から受け継ぎ自らも買い増した膨大な典籍・書画・骨董器物などが全て灰となってしまいました。
幸いにも自宅は無事でしたが、この事件をきっかけに住吉浜に移住し、友人と家宝を失った精神的ダメージを乗り越え作画に没頭し、住吉浜の地で数多くの傑作を描き、充実した晩年を送り、詩情豊かで柔和な筆致、自然で気負いのない構図、繊細で効果的な配色によって、あっさりと趣きのある画境に達しました。