埼玉県出身の大正~昭和初期に活躍した日本画家です。
詩情溢れる幻想的、装飾的な独自の世界観を持つ山水画、花鳥画を得意としており、絵画の持つ写実性と装飾性をいかに融合させるかを追求した画家としても知られています。
代表作に洋画的な手法と細密表現の際立つ「出雲江角港」や、日本画が本来もつ装飾性に眼を向けた「虫魚画巻」など日本画の持つ可能性を引き出した作品もあり、日本画新時代の基盤を築いた一人として名を残しています。
埼玉川越町(現・川越市)の呉服商を営む家の次男として生まれた小茂田青樹は、本名を小島茂吉といいます。
叔父の養子となった事で小茂田姓を名乗るようになり、画家を志して上京します。
松本楓湖の画塾・安雅堂画塾に入塾しており、同じ日にライバルとなる速水御舟も入塾していました。
はじめは巽画会を中心に活躍しており、第13回巽画会展に出品した作品が横浜本牧に三溪園を造った富豪・原富太郎の目に留まった事で経済的支援を受けるようになります。
今村紫紅を中心とした赤陽会の結成に参加すると、院展と両方を中心に作品を発表していきます。
こうして、自身の制作活動の傍ら、帝国美術学校にて後進の育成にも尽力していました。
しかし、日本美術院に参加した頃に患った結核が災いして、41歳という若さでこの世を去ってしまいました。