昭和時代から平成時代にかけて活躍した大分県出身の日本画家で、日本芸術院会員、日展会員・常務理事、東丘社会員、日春展運営委員などをつとめ、日展に中心作家として活躍していました。
また、数多くの受賞歴を誇り、日本芸術院賞、紺綬褒章、MOA岡田茂吉展大賞、京都文化功労賞、日田市特別功労賞、日展文部大臣賞・特選・白寿賞や菊花賞、山種美術館展賞、京展受賞などがあります。
小学校の頃から絵や書が好きで、学校の先生にその作品を褒められた事で絵に興味を持つようになります。
しかし、戦争という時代の流れによって軍隊での生活を送る事となった岩澤重夫は「20歳になるまでに戦争が終わっていたら画家になろう」と心に決めていました。
終戦を迎え、生家に戻ると空襲の火災消化活動の円滑化を図るために壊されており、「絵の学校に合格できなければ家に戻る」という条件で家を出て京都で絵の勉強を始めます。
京都市立美術専門学校に成績トップで入学し、在学中に日展で初入選となると以後、毎回出品を重ねるようになります。
卒業後は父親からの仕送りを断り、自立し、東丘社に入塾して堂本印象に師事し、抽象的な造形を交えた作品を発表しています。
筆を使わずにコテを使って流し込む「たらし込み」を応用した独自の技法を用いて書いた作品「堰」は帝展で特選となり、これを皮切りに様々な賞を受賞するようになり、自分の心に響いた風景を描き続けました。