長野県出身の明治時代に活躍した日本画家です。
本名は道弘といい、別号に玄山、果亭、竹僊などがあります。
温泉宿に商いする雑貨商で信州渋温泉で生まれ育ち郷土愛の強い画家として知られています。
幼い頃から神童と呼ばれるほど、そろばんを得意とし、絵や書を好み、人から貰い受けた南画家日根對山の画帖を宝物のように大切にして常日頃模写に励んでおり、15歳になると佐久間雲窓に就いて本格的に画技を学ぶようになりました。
京都に出てからは田能村直入に南画の指導を受け、南画の山水図などを得意とし、内国絵画共進会などで活躍するようになり、後進の指導にも尽力し、門下には菊池契月、丸山晩霞、小阪芝田町田曲江など後の日本画壇の代表者らを輩出しています。
果亭は音楽を好み友人の長井雲坪より月琴を手に入れ酒宴などでその腕前を披露していましたが、日清戦争が開戦すると戦地の兵士を思い娯楽の楽器を封じたそうです。
また、小林一茶を慕っており、俳句もよくしたそうです。俳号は花庭といいました。