岐阜県出身の昭和後期~平成時代に活躍した日本画家で、兄・加藤栄三と共に岐阜県を代表する日本画家として知られています。
そのため、兄が発表した作品「雷神」と対になるように「風神」という作品を発表しています。
その作風は一貫して風景、人物などを取材した具象画が主ですが、一時期、抽象表現を試みた作品を展開した事があり、色面や形体の構成に緊密が増した作品も見られます。
日展を中心に活躍しており、内閣総理大臣賞、日本芸術院賞をはじめ様々な賞を受賞しており、金閣寺大書院障壁画を完成させた事は広く知られています。
実家は漆器商を営んでおり、中学校を卒業してからは画家を志しながら家業を手伝っていました。
東京美術学校を受験するために兄・栄三を頼って上京し、東京美術学校に入学してからは結城素明、川崎小虎らに師事しました。
東京美術学校を卒業すると高山辰雄を中心とする一采社に参加し、作品の発表の場とします。
日展で初出品、初入選を果たすと、山口蓮春に師事し、活動の場を日展へ移し、数々の賞を受賞するなど日展の中心的作家として活躍を続けます。
そんな中、山口蓬春の勧めにより大山忠作らと研究団体三珠会を結成し、展覧会を開催しています。
大山忠作とギリシャ、エジプト、スペイン、フランス、イギリス、アメリカなどを巡遊し、日本縦断を題材にして一年を費やして完成させた作品「津軽風景」などの8点を発表するなど、常に作品を発表し続けた加藤東一は画廊、百貨店での個展を数多く行っており、多くの人々に知られる日本画家として第1回岐阜市民栄誉賞を受賞しました。