大阪府出身の大正~昭和時代に活躍した日本画家です。
後期印象派の画風を取り入れた斬新な南画を展開した事で知られており、その実力は高く評価されています。
帝展・新文展無鑑査となり、国際墨画展文部大臣賞を受賞するなど南画界の重鎮として活躍しました。
兄は南画家の水田竹圃、水田黄牛で、弟は日本画家・要樹平という芸術一家の出身である水田硯山は本名を美朗(よしろう)といいます。
兄・竹圃に画を学び、日本南画院を中心に活躍を見せるようになると帝展、新文展、日展などにも出品し、多くの入選・受賞を果たすようになりました。
そんな中、伝統を守りつつも保守的な南画の画風に新しい風を吹き込もうと模索をするようになった水田硯山は、フィンセント・ファン・ゴッホ、ポール・ゴーギャン、ポール・セザンヌなど19世紀に活躍したフランスの画家たちの作風を示す後期印象派に出会います。
こうして完成した作品は日本の南画界にモダンな表現を開拓し、日本の美術界の発展にも大きく貢献する事となりました。
晩年は視力が衰え制作活動から遠ざかっていきましたが、日展依属であり、日本南画院の監事を歴任するなど、南画家として亡くなるまで活動を続けていました。