東京都(江戸)出身の明治~昭和時代に活躍した日本画家です。
虎画を得意としており、虎は「千里往って千里還る」と言われている事から、戦前では出征する兵士のために数多く描かれるモチーフだった事から、軍人たちの間では三尾呉石の虎画は「呉石の虎」と愛称がつけられていました。
三尾呉石が虎画を描き続けた理由としては、単純に虎に魅了された事もありますが、師である大橋翠石の影響も大きいとされています。
大橋翠石は日本一の虎画を描くと言われる動物画の名手で、画面からは動物の匂いまでも感じる事ができるほど緻密に描かれ、画面から今すぐ飛び出してくるような感覚を与える作品を世に送り出した事で知られています。
そんな偉大な師から直接学んだ三尾呉石の作品は、虎の見事な描写と背景に描かれる林の枝1本1本も虎の鮮やかな柄を引き立たせる立体感を表現しており、三尾呉石独特の世界観で描かれる美しさを感じることができます。
先祖が近江滋賀にある三尾神社神主一族という家に生まれた三尾呉石は本名を秀太郎といいます。
15歳の時に院展の前身である日本美術協会にはじめて出品した作品が当時の農商務大臣・金子堅太郎が気に入り、大橋翠石を紹介され、大橋翠石のもとで絵画の基本と四条派を学びました。
こうして実力をつけていった三尾呉石は巽画会、浦和土曜会、日月会など様々な美術展に出品をして受賞を重ねるようになると、その美術展の中心的画家として活躍するようになります。
虎は日本には生息していないため、虎画を極めるために満州、朝鮮、インド、アラビア地方などに赴き、野生の虎を観察して納得がいくまで写生を行い、帰国後は虎専門の画家としてたくさんの作品を残しました。