日本の作家。
1885年、東京の子爵の第8子として生まれる。学習院の初等科、中等科、高等学科を経て、1906年に東京帝国大学哲学科に入学。学習院時代から同級生だった志賀直哉や木下利玄らと「十四日会」をつくって創作する。さらに東大を中退して、回覧雑誌「望野」を創刊。1910年には月刊誌「白樺」を志賀直哉、有島武郎、らと創刊し、その中心的人物となる。創刊では「『それから』に就て」を発表した。
彼らは、大正期の自由主義の空気を背景に、人間の生命の力を信じ、あふれる生命感、理想主義・人道主義・個人主義を標榜しており、白樺派と呼ばれた。
彼の作品もまた、人間肯定を天衣無縫な文体で高らかに歌い、とりわけ若い世代の支持を得て注目を集めた。1911年に「お目出たき人」を発表した。
1918年には、理想的な調和社会、階級闘争のない共同来の理想の実現を目指した「新しき村」を宮崎県に建設した。その後、埼玉県にも「新しき村」をつくった。
その頃から作風も円熟し、「幸福者」「友情」「或る男」など名作を世に送り出した。小説のほか、詩、絵画にも優れた作品を残し、人生論などの文章も数多く残している。
1976年1月、逝去。享年90歳。