1827年 生まれる
1836年 儒学を草場佩川に、書を水町空斎に学ぶ
1841年 藩校・興譲館に入学する
1845年 藩命により江戸に遊学し、山内香雪の門に入る
1856年 興譲館の指南役をつとめる
1867年 清国の商人・林雲逵に書法を問う
1871年 一切の役職を辞め、書に専念する
1875年 桜岡公園(現・小城公園)の建設に尽力し、「桜岡公園」の碑を建てる
1878年 長崎の清国領事館の理事官・余元眉と出会う
1882年 清国に渡る
1884年 帰国する
1891年 王義之の十七帖を臨書して、天皇に献上する
1896年 帰郷する
1897年 再び清国へ渡る(同年帰国する)
1898年 『鎮国之山』を揮毫し、富士山頂にその銅碑を建てる
1902年 長年の研鑽の末、連綿草書体を完成させる
1904年 東京三田、薬王寺境内の山内香雪の墓に面して、寿塔(生前に建てる墓)をつくる
1906年 朝鮮に渡り韓国皇帝に謁見する
1909年 皇后陛下より香筥を下賜される
1912年 脳卒中で左半身不随となる
1913年 逝去
1827年 生まれる
1836年 儒学を草場佩川に、書を水町空斎に学ぶ
1841年 藩校・興譲館に入学する
1845年 藩命により江戸に遊学し、山内香雪の門に入る
1856年 興譲館の指南役をつとめる
1867年 清国の商人・林雲逵に書法を問う
1871年 一切の役職を辞め、書に専念する
1875年 桜岡公園(現・小城公園)の建設に尽力し、「桜岡公園」の碑を建てる
1878年 長崎の清国領事館の理事官・余元眉と出会う
1882年 清国に渡る
1884年 帰国する
1891年 王義之の十七帖を臨書して、天皇に献上する
1896年 帰郷する
1897年 再び清国へ渡る(同年帰国する)
1898年 『鎮国之山』を揮毫し、富士山頂にその銅碑を建てる
1902年 長年の研鑽の末、連綿草書体を完成させる
1904年 東京三田、薬王寺境内の山内香雪の墓に面して、寿塔(生前に建てる墓)をつくる
1906年 朝鮮に渡り韓国皇帝に謁見する
1909年 皇后陛下より香筥を下賜される
1912年 脳卒中で左半身不随となる
1913年 逝去