【中林梧竹】買取作家・取扱い一覧 掛軸・書画・版画

中林梧竹

中林梧竹
中林梧竹(1827~1913)
佐賀県出身の江戸時代末期~明治時代に活躍した日本の書家です。
明治時代の書家にあっては珍しい造形美を追求した独特の書風を確立し、新書風で書壇へ大きな影響を与えました。
地位や名誉には固執せずに書三昧の日々を送り、日下部鳴鶴、巌谷一六と共に「明治の三筆」と呼ばれ、書以外にも水墨画も数多く残しています。

鍋島藩の支藩小城藩の家臣を代々つとめる家に生まれた中林梧竹は、名を隆経、通称は彦四郎、字は子達といいました。
また、梧竹は号で剣閣主人ともいいました。
18歳の時に藩の命令によって江戸へ遊学し、山内香雪、市河米庵の門に入って書を学び、長崎の清国領事館の理事官・余元眉から清国(現・中国)の碑版法帖の提供を受け、六朝書の研究を始めました。
帰国する余元眉と共に清国に渡り、余元眉の師である潘存のもとで古碑、拓本の蒐集・研究に没頭します。
漢や六朝の古碑の拓本を数多く携え帰国し、その後王羲之の十七帖の臨書を明治天皇に献上しました。
晩年には自らの書の歩みの集大成となる『梧竹堂書話』の執筆を始め、その数年後に生涯を閉じました。

中林梧竹の作品は余元眉と共に清国へ渡った時に夢中になった中国の書に似た作風と、60歳頃の書を見せるためのちょっと不自然にも感じる個性的な作風、そして晩年の見せる意識をまったく感じさせない自然体な作風に大きく分ける事ができます。

中林梧竹年表


1827年 生まれる
1836年 儒学を草場佩川に、書を水町空斎に学ぶ
1841年 藩校・興譲館に入学する
1845年 藩命により江戸に遊学し、山内香雪の門に入る
1856年 興譲館の指南役をつとめる
1867年 清国の商人・林雲逵に書法を問う
1871年 一切の役職を辞め、書に専念する
1875年 桜岡公園(現・小城公園)の建設に尽力し、「桜岡公園」の碑を建てる
1878年 長崎の清国領事館の理事官・余元眉と出会う
1882年 清国に渡る
1884年 帰国する
1891年 王義之の十七帖を臨書して、天皇に献上する
1896年 帰郷する
1897年 再び清国へ渡る(同年帰国する)
1898年 『鎮国之山』を揮毫し、富士山頂にその銅碑を建てる
1902年 長年の研鑽の末、連綿草書体を完成させる
1904年 東京三田、薬王寺境内の山内香雪の墓に面して、寿塔(生前に建てる墓)をつくる
1906年 朝鮮に渡り韓国皇帝に謁見する
1909年 皇后陛下より香筥を下賜される
1912年 脳卒中で左半身不随となる
1913年 逝去

1827年 生まれる

1836年 儒学を草場佩川に、書を水町空斎に学ぶ

1841年 藩校・興譲館に入学する

1845年 藩命により江戸に遊学し、山内香雪の門に入る

1856年 興譲館の指南役をつとめる

1867年 清国の商人・林雲逵に書法を問う

1871年 一切の役職を辞め、書に専念する

1875年 桜岡公園(現・小城公園)の建設に尽力し、「桜岡公園」の碑を建てる

1878年 長崎の清国領事館の理事官・余元眉と出会う

1882年 清国に渡る

1884年 帰国する

1891年 王義之の十七帖を臨書して、天皇に献上する

1896年 帰郷する

1897年 再び清国へ渡る(同年帰国する)

1898年 『鎮国之山』を揮毫し、富士山頂にその銅碑を建てる

1902年 長年の研鑽の末、連綿草書体を完成させる

1904年 東京三田、薬王寺境内の山内香雪の墓に面して、寿塔(生前に建てる墓)をつくる

1906年 朝鮮に渡り韓国皇帝に謁見する

1909年 皇后陛下より香筥を下賜される

1912年 脳卒中で左半身不随となる

1913年 逝去


中林梧竹代表作

『金分三行』

『聖代文明』


二枚折屏風
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