広島県出身の昭和~平成時代に活躍した日本画家です。
山岳を中心とした自然風景画をよく制作しており、柔らかく包こむような筆使いと瑞々しい色彩が特徴的で、木岐の一本一本まで丹精に表現されており、写実を基本としたデッサン力を伺う事ができます。
帝国美術学校を卒業しており、卒業と同時に同校の助手、講師をつとめると武蔵野美術学校助教授、教授、名誉教授、愛知県立芸術大学講師をつとめるなど長年にわたり後進の指導育成に力を注ぎました。
また、宗教や哲学にも造詣が深く、短歌や能、茶道もたしなんでおり、歌集を出版しています。
広島県福山市の菓子店を営む家に生まれた塩出英雄は、幼い頃から絵を描く事を得意としていました。
中学時代には福山の古刹明王院で龍池密雄僧正より真言宗の教義について教えを受け、深く感化されます。
17歳の頃には美術関係の仕事で生計を立てようと志しを持ち、帝国美術学校日本画科に入学します。
山口蓬春の指導を受けるかたわら、同校の教頭金原省吾から東洋美学や東洋美術史、国文や漢文まで広く学び、学外でも高楠順次郎に仏教学を学ぶなど絵画以外の勉強にも励んでいました。
帝国美術学校を卒業すると奥村土牛に師事しており、これまでに多くの師から学んできた事が分かり、学んだ事全てが作品に反映されています。
院展を中心に作品を発表しており、日本美術院賞、大観賞を受賞するなど輝かしい功績を残します。
院展同人に推挙された頃、同じ院展同人である小谷津任牛らと藜会を結成し、精力的に活動を行いました。