1750年 生まれる
1760年 清泰寺10世空印円虚の許で得度する
1768年 初めて行脚の途につき横浜市南区永田町の東輝庵の月船禅慧に参じる
1787年 月船門下の兄弟子・太室玄昭に西遊(博多・聖福寺)を勧められる
1788年 博多・聖福寺を訪れて聖福寺122世盤谷紹適に相見する
1789年 聖福寺123世住職に就任する
1790年 藩より銀三貫目を拝借して京都の本山・妙心寺で転位垂示式を挙げる
1800年 聖福寺僧堂を再興して衆僧の教育に尽力する
1811年 弟子の湛元等夷を聖福寺124世住職にする
1812年 聖福寺の塔頭・虚白院へ閑栖して絵画においても本領を発揮する
1832年 絶筆の碑を建てて一度は筆を折るが、揮毫の依頼は絶える事なくその後も書き続ける
1836年 聖福寺125世住職に就任する
1837年 逝去
1750年 生まれる
1760年 清泰寺10世空印円虚の許で得度する
1768年 初めて行脚の途につき横浜市南区永田町の東輝庵の月船禅慧に参じる
1787年 月船門下の兄弟子・太室玄昭に西遊(博多・聖福寺)を勧められる
1788年 博多・聖福寺を訪れて聖福寺122世盤谷紹適に相見する
1789年 聖福寺123世住職に就任する
1790年 藩より銀三貫目を拝借して京都の本山・妙心寺で転位垂示式を挙げる
1800年 聖福寺僧堂を再興して衆僧の教育に尽力する
1811年 弟子の湛元等夷を聖福寺124世住職にする
1812年 聖福寺の塔頭・虚白院へ閑栖して絵画においても本領を発揮する
1832年 絶筆の碑を建てて一度は筆を折るが、揮毫の依頼は絶える事なくその後も書き続ける
1836年 聖福寺125世住職に就任する
1837年 逝去