幕末の文人画家で、明清風の巧みな構図、精緻な筆致で描く山水画はとても有名で、乾隆以前の明や清の画家が描いたものと評価されるほどのものです。
草坪は号で、名は雨といい、通称は元吉、字は沢民、別号に錦江外史があります。
32歳で亡くなっている事から「竹田が認めた幻の作家」などと呼ばれています。
豊後杵築城下富坂町(現・大分県杵築市)の商家・槇屋休平の次男として生まれ、幼い頃から絵を描くのが好きな少年でした。
地元の画家・長谷部柳園に手ほどきを受け、旅行中だった田能村竹田が訪れた際は迷わず入門し、竹田と共に各地を巡りました。
頼山陽をはじめ篠崎小竹、青木木米、浦上春琴、岡田半江、雲華院大含、小石元瑞、小田海僊など著名な文人たちと親交を深め、画を研鑽していき、師である竹田は「よく出来た作品は自分もおよばない」とその才能を認めていました。
その画風は師である竹田とは異なった魅力を持っており、とても個性的で高橋草坪の代表作の多くが天保年間に入ってから制作されたものです。
しかし、早く亡くなっている事から他の画家による贋作が多く作られ、真作が市場に出回っている事が少ない画家でもあります。