東洲斎写楽は江戸時代中期に活躍した浮世絵師で、約10ヶ月という短い期間に140数点に及ぶ役者絵などを発表し、忽然と画業を絶って姿を消した謎の絵師として知られています。
その出自や経歴については様々な研究が行われていますが、現在は阿波徳島藩主蜂須賀家のお抱え能役者・斎藤十郎兵衛と同一人物だという説が有力となっています。
これは斎藤十郎兵衛が住んでいた場所とモチーフとしてよく描いていた背景が近い場所であった事や、東洲斎写楽という名前が「さい・とう・じゅう」とアナグラムになる事などから導き出されたものでした。
東洲斎写楽の作品の特徴は、役者などのモデルの目や口元などの特徴を大胆にデフォルメしている事で、ポーズや表情もこれまでにあった浮世絵とは違うユニークさが熱烈な印象を残し、世間でも注目を浴びる存在となりました。
代表作としては『市川蝦蔵の竹村定之進』『三代坂田半五郎の藤川水右衛門』『三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛』『嵐龍蔵の金貸石部金吉』などを挙げる事ができ、東洲斎写楽の作品はすべて江戸時代の版元である蔦屋重三郎の店から出版されています。
また、東洲斎写楽の作品は4期に分かれて発表されており、後になるほど作品が粗末になっていく様子が分かり、前期と後期では制作している人物が別人なのではないかと言われています。
海外でも高い評価を受けている東洲斎写楽ですが、当時の役者絵は役者を美化して描く事が人気だったため、役者の容姿の欠点までをも誇張して描く東洲斎写楽の絵は高く評価されませんでした。
そのため、同時代に活躍していた初代・歌川国豊の役者絵の方が受け入れられていました。