京都府出身の昭和時代に活躍した日本画家です。
様々な技法を駆使しあらゆる画題をこなす画才を持ち、各地の寺社仏閣の障壁画を手掛け、多くの作品を残した事で知られています。
75歳の頃、自分の作品を展示するために堂本印象自身が設計して建てた堂本印象美術館があり、その奇抜なデザインは注目を浴びました。
また、堂本印象生誕100周年を記念して堂本印象美術館は京都府にまるごと寄付された事は当時、とても話題になりました。
堂本印象は本名を三之助といい、京都市立美術工芸学校を卒業した堂本印象は西陣織の図案描きの仕事に従事していました。
この頃から才能を発揮していた堂本印象は日本画を志して京都市立絵画専門学校に入学します。
帝展に初出品した作品は入選となり、その後も受賞を重ね、帝国美術院賞を受賞するなど、一躍有名となりまし。
戦後は独自の社会風俗がによって日本画壇に刺激を与え、抽象表現の世界に分け入り、その華麗な変遷は世界を驚かせました。
こうして国際展にも招かれるようになった堂本印象は大阪カテドラル聖マリア大聖堂に描いた壁画「栄光の聖母マリア」を描いた功績により、当時のローマ教皇ヨハネス23世より聖シルベストロ文化第一勲章を受章しています。
日本画家として活躍する一方で、京都市立絵画専門学校の教授、私塾・東丘社の主宰者として多くの後進の指導にもあたっており、亡くなるまで日本画壇を支え続けました。