東京出身の明治~昭和時代に活躍した日本画家です。
本名は森田貞松といいます。
東京で「池田屋」という酒屋を営んでいた家の次男として生まれました。
本名の貞松は勝海舟が命名したそうです。
10歳の頃、親類の結城彦太郎の養嗣子となりました。
幼い頃から絵を描くのが好きで、常に墨斗と手帖を携帯し、目にとまったものは何でも写生していました。
15歳の時に岡倉天心の紹介で川端玉堂の天真画塾に入門します。
天真画塾で学びながら東京美術学校日本画科に入学、卒業すると洋画科に入り洋画を学びました。
在学中に出品した日本画協会展で1等褒状を受けるなどして、その実力を知られるようになります。
洋画科卒業後は同校の助教授として勤務する傍ら、島崎柳塢や平福百穂などと旡声会を結成して写実の強い作品を発表するようになります。
また、平福百穂とは意気投合し、終生無二の親友として交友したそうです。
1923年には文部省より留学生として2年間ヨーロッパへ赴き、フランスやパリの風景画を残しました。