東京出身の明治~昭和時代に活躍した日本画家です。
父は日本画家の吉岡華堂です。
はじめは彫刻家を目指していましたが、父親の影響もあり画家になる事を決意し、野田九浦に師事します。
洋画家・高崎剛の留守宅を借りて住んだ際に制作した作品で24歳という若さで帝展で特選となり、注目を浴びました。
その後も新日本画研究会、新美術人協会などを結成し、日本画の革新運動を展開しました。
戦後も創造美術(現・創画会)を結成し、西洋と東洋を融合させた新傾向の日本画を追求しました。
また、戦前期の法隆寺金堂壁画の模写事業に従事し、戦後の壁画再現事業にも参加しており、その経験を活かし、東京藝術大学中世オリエント遺跡学術調査団に加わり、トルコのカッパドキアの壁画の調査に参加しています。