大正・昭和期の歌人、劇作家。
1886年、東京で生まれる。旧制中学校時代に「南国少年」に短歌を投稿して一等をとる。
1908年、早稲田大学文学部に入学するも中退する。同年、北原白秋らと「パンの会」を結成し、耽美派文学の一翼として活動を展開する。1909年に森鴎外監修のもと、石川啄木らと「スバル」を創刊し、編集にあたる。翌年、酒と愛欲の青春を詠った第一歌集「酒ほがひ」を刊行、明治末の青年を魅了し、歌壇界に確固たる地位を得る。以後、「昨日まで」「祇園歌集」「人間経」など多くの歌集を刊行した。
一方、「スバル」創刊の年に、戯曲「午後三時」を発表。坪内逍遥に認められ、劇作家としても名を上げ、「夢介と僧と」「狂芸人」など多くの戯曲を発表し、歌集を中心にして、戯曲、小説、随筆など幅広い分野で活動した。1960年11月、死去。享年75歳。
2012年3月、吉井が18歳の時、与謝野鉄幹が主宰する「明星」に投稿した直筆の短歌が発見された。当時、吉井は「いさむ」という筆名で応募していたが、鉄幹が本名の「勇」に直した跡が残っており、作家名が決まる経緯が初めて明らかになった。
吉井の短歌にはお酒と女性に関する名歌が多く残されているが、大正時代の流行唄として、彼が作詞した「いのち短し,恋せよ少女~」から始まる「ゴンドラの唄」は、心に沁み入る歌詞とともに現代においても歌い継がれている。