日本の歌人、作家、思想家。
本名、与謝野晶(しょう)。旧姓、鳳(ほう)。
1878年12月に、大阪府の和菓子屋の三女として生まれる。1888年に堺女学校に入学し、文学に親しみ、卒業後は家業を手伝いながら独学で古典を耽読したり、詩歌を雑誌へ投稿するようになった。
1900年、雑誌「明星」が創刊されると、第2号に短歌を発表する。たまたま関西入りした与謝野鉄幹と出会い恋心を抱くようになり、翌年家をでて鉄幹のもとに走った。そして同年8月には、鳳晶子の名で第一歌集「みだれ髪」を刊行。その2ヵ月後に妻と別れた鉄幹と結婚する。時に晶子23歳、鉄幹28歳の時である。封建的風習が色濃く残る明治の世にあって、女性の青春、愛の情熱を奔放かつ大胆に歌いあげた「みだれ髪」は、歌壇のみならず社会を驚かせ、近代短歌史に新段階を画するものだった。
続いて「小扇」「恋衣」「舞姫」など円熟した歌集を刊行していく。その中で1904年に明星に発表した「君死にたまふこと勿れ---------」の歌は、日清戦争のさなかに厭世思想を詠ったものとして問題となった。
1908年、「明星」が終刊になると、歌壇の本流を離れつつ、小説の執筆、「新訳源氏物語」などの古典の現代語訳や研究に情熱を注ぐようになる。渡欧から帰国後の大正期に入ると、女性評論家として婦人問題に取り組んだり、女子教育にも関心を示し文化学院の創設にも関わっている。こうした目覚ましい業績を残す一方、家庭では鉄幹を支え、五男六女の11人の子供を育て上げた。
1942年5月に死去。享年63歳。