シャネル CHANELを買取ります
1910年、ココ・シャネルによりフランスのパリに設立されたファッションブランド。
帽子専門店としてスタートします。
1913年にはリゾート地のドーヴィルに第一号モードブティック、1915年にはビアリッツに「メゾン・ド・クチュール」をオープンします。
その後、1916年にはクチュリエとして、オートクチュールコレクションを発表しました。
1916年に第1回シャネル・オートクチュール・コレクションを発表。以降世界の著名人やセレブ達を熱狂させるラグジュアリーブランドとして事業を拡大。
「古い価値観にとらわれない女性像」をコンセプトに掲げ、女性をコルセットから解放し、それまでは男性用の下着素材であった、ジャージー素材をスーツなどのフォーマルなスタイルに使用し女性のパンツスタイルを確立。さらに当時喪服の色とされていた黒をモードに取り入れるなど、20世紀のファッションに多大な影響を与えたました。
香水の分野でも絶大なシェアを築き、1920年にNo.5という香水を開発、翌年にはNo.22を発売し多くの女性から絶大なる支持を受けるようになります。
1930年代にはアクセサリー専門、テキスタイル部門の工場を構え一大企業に成長させますが、第二次世界大戦のため1939年には香水とアクセサリー部門を残してブティックを閉鎖する。
フランス北部占領中を通じドイツ軍将校のヴァルター・シェレンベルクと愛人関係にあったシャネルは連合国軍によるフランス解放後「売国奴」として非難され、スイスへの逃亡を余儀なくされます。
15年の逃亡生活を経てパリに戻ったシャネルは、1954年にファッション事業を再開します。
女性の社会進出がめざましかったアメリカではシャネルのこれまでの功績が称えられ過去50年間でもっとも大きな影響力を与えたファッションデザイナーとしてモード・オスカー賞を受賞しました。
再びトップブランドへ返り咲くも1971年、住居としていた壮麗な宮殿ホテル「オテル・リッツ」で逝去、その後はカール・ラガーフェルドがデザイナーに就任します。
1987年、シャネル初となるレディースウォッチ「ル・タン・シャネル」を発表。同年、モンテーニュ大通りにウォッチブティックをオープンした。
1990年、スクエア型ドレスウォッチ「マドモアゼル」を発表。1994年、アクセサリーウォッチ「マトラッセ」発表。
2001年、シャネル初となるメンズダイバーズウォッチ「スポーツJ12」を発表。同名のレーシングヨットからインスパイアされ、その曲線美・直線美や大胆なホワイトカラーなどをデザインに反映。自動巻きムーブメントを搭載し、製造はスイスで行う。無駄な装飾をそぎ落としたエレガントなデザインで同社のフラッグシップとなった。
「モードは移り変わっても、スタイルは残る」というシャネルの言葉通り、伝統的なスタイルを守りながら、時代の空気を取り入れたシャネルを提案し、高級ブランドとしての再興を果たしている。
香水の名にもなったシャネルの愛称「COCO」は
若い頃、歌手を目指したときに歌った曲からつけられている。
その愛称がシャネルのロゴになった。