1923年に岡山県で生まれた高木聖鶴は、学校に進学するも中退し、戦争が始まると兵士として戦場に駆り出されます。
戦後は鉄砲を持たない兵士として戦地東京で1年程過ごした後、故郷の岡山県に戻りました。
岡山県に戻った高木聖鶴は、父親が始めた証券会社で仕事を始めましたが、「仕事以外で生涯学べるものがやりたい」と思い、書道を始めます。
そして24歳で同じく岡山県出身の書家である内田鶴雲に師事し書道を学び始めました。
内田鶴雲に学びながら中国や日本の古筆・名筆を研究、その後かな書家として現代感覚があふれる作品の確立に成功します。
証券会社で仕事をしながら内田鶴雲に書道を学んだ高木聖鶴は、27歳の時に日展で開かれた日本美術展覧会に作品を出品し見事初入選を果たしました。
その後メキメキと才能を発揮し数々の作品を書き進め、58歳では日展の審査員を務めるなど活躍されます。
その10年後には現代書道20人展「かな」部門において新メンバーに選ばれるなど高木聖鶴の実力が評価されての選抜でした。
72歳では、読売書法会の常任総務や日展の理事を務めるなど後世の育成に励みながら、自身も作品制作を続け、数々の展覧会で賞を受賞し続けます。
高木聖鶴は、師である内田鶴雲に学びながら内田鶴雲の師でかな書の重鎮として活躍した安東聖空の書風もしっかり身に着けた事で数々の賞を受賞し後世の育成にも携わり書道界に多くの貢献をしてきました。
書道の世界に自身の人生をかけて全力投球してきた高木聖鶴は、2017年93歳という長い人生に幕を下ろしました。
高木聖鶴が亡くなってから、これまでの功績が称えられ従三位を贈られます。
ちなみにですが、高木聖鶴の長男である高木聖雨も現在書家として活躍されています。