青山杉雨は昭和~平成時代に活躍した愛知県出身の書家で、大東文化大学の教授をつとめました。
本名は青山文雄といい、愛知県江南市で次男として生まれ、後に東京の向島に上京し、義母に育てられています。
従兄弟の夫に書家として活躍していた大池晴嵐(おおいけせいらん)がおり師事しています。
大池晴嵐は行草書を得意としており、正六位勲五等双光旭日章受章を受章しています。
青山杉雨は東横百貨店で3年程勤務した後に世田谷区で書道塾を始めています。
その後、現代の書壇に最も影響を及ぼしたといわれ、書の巨人と呼ばれた西川寧(にしかわやすし)に師事しています。
それから3年後に大日本帝国海軍の軍港を警備、防衛する横須賀海兵団に入営しています。
後に毎日新聞書道展審査員、日展審査員に就任後に大東文化大学の教授となっています。
青山杉雨は多くの賞を受賞し日展理事、参事、常務理事を務めた後に全国書美術振興会を設立して顧問となるなど、多くの重要なポストを歴任しています。
また、青山杉雨は文化の発展や向上に取り組んだ功績が認められ、文化勲章を受章しています。