山口県出身の明治~昭和時代に活躍した日本画家です。
「最後の文人画家」と評され、精緻で謹直な描写を基礎にした近代の写生画の流行を十分に取り込みながら、そこに漢籍、漢詩の素養に裏付けされた品格の高い作風が特徴で、右上から左下に向かう構図は松林桂月の代名詞とも言えます。
「動物の描写は不得意」と自身でも公言しており、残されている作品には草花や山など自然の風景が多いのですが、猫、鶏、鶴、鷲、トラなど様々な動物にも挑戦しており、とても不得意とは思えない出来栄えです。
幼い頃から絵画に興味を持っていた松林桂月は尋常小学校卒業後、地元の素封家・瀧口吉良の援助を受けて上京し、野口幽谷に師事しました。
野口幽谷が亡くなると他の誰かに師事する事なく独学で技術を磨いていき、南画の研究を進め、南画の表現に新たな世界を開拓していきます。
その実力は周囲を驚かせるほどで、南画界の重鎮として活躍を見せました。
40代後半~60代にかけての作品が松林桂月の最盛期とも言われており、力作の多くがこの時期に制作されています。
墨線の濃淡を絶妙に使い分け、立体感のある全く新しい日本画は晩年には進化を遂げ、漢詩を添えた作品は高く評価されました。