【池田遙邨(池田遥村)】買取作家・取扱い一覧 文化勲章受章者

池田遙邨(池田遥村)

池田遙邨(池田遥村)
池田遙邨(池田遥村)(1895~1988)
岡山県出身の日本画家で、本名を池田昇一といいます。
画家としての生涯の中で、様々な人物に影響を受ける度に画風を変化させていった画家として知られています。
 
17歳の時に大阪へ出て松原三五郎が主宰する天彩画塾に入門し洋画を学び、第8回文展に水彩画「みなとの曇り日」を出品すると見事入選を果たします。
これは18歳という若さでの入選という事もあり、天才少年画家として注目を浴びました。
その後、京都の竹内栖鳳の竹杖塾に入門し、日本画へ転向します。
日本画に転向してからは第1回帝展で初入選を果たすと以後、連続して出品を重ね活躍します。
また、京都市立絵画専門学校や京都市立外国語専門学校でも学んでおり、この頃にムンクやゴヤに影響を受け、人間の死や病といった生命感を内包する作品を展開するようになります。
昭和に入ると大和絵の新解釈にたった清新な作風を見せるようになり、一時、画壇からその作風が否定されていましたが、これをきっかけに再び画壇に認められ、受賞を重ねるようになります。
また、江戸時代の浮世絵師・歌川広重に強く影響を受け、東海道を徒歩で写生旅行し、浮世絵風の作品も残しています。
 
戦後になると装飾性やユーモアに富んだ独自の表現が目立つようになり、円山応挙以来脈々と受け継がれてきた京都派の写生的なこだわりが見えなくなります。
晩年では俳人・種田山頭火に心を寄せ、その句境の絵画表現に挑んだ「種田山頭火シリーズ」を手掛けるようになり、旅をする時は種田山頭火の姿で旅をしたとされています。
画家としての情熱は年を重ねても衰える事はなく、種田山頭火の句を並べては「これらを描き終えるには125歳まで長生きしなければ」と制作意欲を見せていましたが、93歳の誕生日を目前にこの世を去ってしまいました。
 
また、倉敷市立美術館には出生当時の本籍地という事から池田遙邨本人から作品を寄贈されたものが展示されており、遺族からも寄贈を受け、現在では8000点を越えるコレクションを収蔵しています。

池田遙邨(池田遥村)年表


1895年 岡山県で生まれる
1910年 松原三五郎が主宰する天彩画塾に入門し、洋画を学ぶ
1914年 第8回文展で入選する
1919年 竹内栖鳳の画塾・竹杖会に入門し、日本画に転向する
1923年 関東大震災の惨状を描いた洋画風の「災禍の跡」を帝展に出展するが落選する
1926年 京都市立絵画専門学校研究科を卒業する
1928年 第9回帝展で特選となる
1930年 第11回帝展で特選となる
1936年 京都市立絵画専門学校助教授をつとめる
1953年 画塾・青塔社を主宰する
1960年 「波」で日本芸術院賞を受賞する
1976年 日本芸術院会員となる
1984年 文化功労者として表彰される
1986年 倉敷市名誉市民となる
1987年 文化勲章を受章する
1988年 急性心不全のため92歳で逝去

1895年 岡山県で生まれる

1910年 松原三五郎が主宰する天彩画塾に入門し、洋画を学ぶ

1914年 第8回文展で入選する

1919年 竹内栖鳳の画塾・竹杖会に入門し、日本画に転向する

1923年 関東大震災の惨状を描いた洋画風の「災禍の跡」を帝展に出展するが落選する

1926年 京都市立絵画専門学校研究科を卒業する

1928年 第9回帝展で特選となる

1930年 第11回帝展で特選となる

1936年 京都市立絵画専門学校助教授をつとめる

1953年 画塾・青塔社を主宰する

1960年 「波」で日本芸術院賞を受賞する

1976年 日本芸術院会員となる

1984年 文化功労者として表彰される

1986年 倉敷市名誉市民となる

1987年 文化勲章を受章する

1988年 急性心不全のため92歳で逝去

池田遙邨(池田遥村)代表作

『波』

『南禅寺』

『湖畔残春』

『稲掛け』

『三尾四季』

石清水八幡宮雪景図
石清水八幡宮雪景図
山頂の野原
浜辺風景
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